心理の問題ではない。たとえば、佐多稲子の「くれない」という小説の女主人公の苦悩の根底にも潜んでいる問題である。しかし、治安維持法があり、現実が現実の内容のままの素直さで語られ、追究され解明されることの不可能だった時代にかかれた「くれない」で、佐多稲子は「思いあがり」という自責的な表現でうらから後家のがんばりに不十分に触れてゆくしかなかった。「思いあがり」という自責的なひとことのなかに、女として作家として積極であった多くのプラスをのみこみながら。戦争とファシズムの力とで人間はどんなに非人道的に扱われて来たかということについて、そのような権力への抗議として少くとも「風知草」の世界が語り得ている程度にさえ、語った小説は十数年間の日本にあることが出来なかった。「風知草」が柔かな紅い色の曲線で描かれたクロッキーであり、その主調がひろ子の愛の情であるにしろ、そのような愛の流露が可能とされている歴史の過程と一貫した階級的な立場の本質は、たたかいとられた生の肯定その発展として作品の隅々にまで鳴っている。「風知草」の抒情性には、平穏に巣ごもった男女の恋着のなま暖かさはない。大きく暗くおそろしい嵐がすぎて
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