空ににおやかな虹のかかったとき、再び顔と顔とを見合わせた男女が、互の健闘を慶び、生きていることをよろこび、そのよろこばしさにひとしお愛を燃えたたせる姿がある。すがすがしい一種の革命的リリシズムがある。「風知草」はその描線にいかようの省略があろうとも人間云いならわした愛という言葉、よろこびという言葉、またその歎きに、どのように生新な歴史の質量がうらづけられてゆくものかということについて省略していない。大らかな虹の光りの下に立つ愛の歓喜が心情の純粋に重吉とひろ子とのものであって、しかもそのまじりけなさにおいて決して、二人だけのものではないという人間の実感を省略してはいないのである。「風知草」は、その小説としての存在そのものによって文学の可能がわれわれの社会的自由の可能とどんなに一体のものであるかということについて語っている。文学の可能の拡大をもたらすわたしたちすべてのもの、社会的な自由の拡大こそ、人間の愛の豊富さを可能とすることをも語っている。
民主主義の文学は、日本の人民的民主主義革命の課題をその具体的な諸相で描きつつそのことによっておのずから過去の日本の文学からの成長を課題としている
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