、日本文化、文学史の特色をもつ一現象であった。あしかけ五年間、全く作品公表できなかったわたしは、一九四一年十二月八日真珠湾の翌日、戦争非協力の共産主義者として検挙された。一九四二年三月巣鴨の未決へ送られ、その年の七月二十日すぎ、熱射病のために危篤に陥って、帰宅した。不思議に生命をとりとめた。しかし、視神経、言語の神経、心臓と腎臓が破壊されて、視力恢復までに一ヵ年以上かかった。心臓と腎臓の機能障害は、こんにちわたしの健康上致命的な弱点としてのこされている。
作者の立場は、自身が人民的であり戦争に非協力であるというばかりでなく、非転向で十余年の獄中生活を送っている共産党員である良人の妻であるという客観的事情から決定されて、権力との妥協点がなかった。一九四〇年(昭和十五年)十月に執筆した「朝の風」一篇は、もうこの作者が、小説としてかきたい主題は書くことのできない社会的情況にまで軍事統制が進んでいることを明瞭に示した。客観的な意味で、書きたいテーマはかけなくなっていた。出征という一つの客観的事実を扱っても、それは人間が平常の状態を失いつつある生活現実であってはいけなかったのだから。――出征は
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