年暮していた獄中生活から一九四五年十月十四日に解放されて家庭へかえり、良人としての生活をはじめると共に直ちに共産主義者としての活動へ入ってゆく。ひろ子は「乳房」の女主人公と同じ名をもっているけれども、彼女はこの作品では※[#「女+保」、76−1]母ではない。階級的な立場にたつ婦人作家としてあらわれている。重吉とひろ子とは、様々の波瀾を互にしのいですごした十二年ののちに、はじめて一つ家に、結婚の歴史はもう旧いけれども、互が互を感じ合う敏感さでは真新しい夫婦として生活をはじめる。その特殊な条件をもつ短い時期のうちにおこった一つ二つのエピソードを中心として、この作者の全心から流れ出す初々しい生の感覚と愛の諧調で全篇がつらぬかれている。おのずからなる抒情的でメロディアスな筆致は、わたしの作品の全系列の中にあっても類の少い位置をこの作品に与えている。
 風知草は、絵画で云えば、一篇のクロッキーであると云ってさしつかえない。クロッキーはデッサンではない。クロッキーにおいて細部は追究されず、しかし流動する物体のエネルギーそのものの把握が試みられる。次の瞬間もうそこにはないその瞬間の腕の曲線、頸の筋骨の隆起、跳躍の姿がとらえられる。だが、そのうちに、ダイナミックに自然法則はとらえられる。「風知草」はやわらかいクレパスで、暖かい色調の紅い線で描かれた人生の歴史的時機のクロッキーとも云える作品である。省略され、ときには素早い現実の動きをおっかけた飛躍のあるタッチで、重吉とひろ子という一組の夫婦が、一九四五年の日本の秋から冬にかけてのめをみはるような時期に生きた錯雑がとらえられている。そこには特殊であって、また普遍性をもついくつもの課題が閃いている。たとえば「後家のがんばり」というこの小説の世界にとって重要なモメントとなっている女性の生活闘争の傷痕の問題や、プロレタリア前衛党が再結集されてゆく過程及びその階級活動全般における各種の専門活動の関係とその評価についての問題。日本の監獄が治安維持法の政治犯と云っても非転向の共産主義者をどう扱ったかという歴史的事実の片鱗も描き出されている。そして、これらのことは「風知草」以前にはあるとおりの率直さで書くことのできなかった人民の歴史のひとこまである。「後家のがんばり」という簡明な要約で「風知草」にとりあげられている一つの問題は、ひろ子ひとりに関する
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