の革命家の心と体から、すべての鎖と枷とがいちじに落ちてゆく光景はそのひとの無垢を信じてその歳月をともに暮した妻である、作者にとって平静に眺めるには堪えがたい壮観であった。
 共産党が合法政党として立ちあらわれ、代々木駅ちかくのうすよごれたコンクリート建物のがらんとしてまだ人気も少い入口の柱に、アカハタ編輯局という貼紙が出された。やがて、おかしな字で日本共産党と大書した板の看板がその入口の上にかかげられた。それは作者をうれしさで笑顔にし、同時に、日本の人民がはじめて公然と革命的政党を持つようになったという歴史の新しい一事実でもあった。
 一九四五年八月十五日以後、日本には、それぞれの人の心にそれぞれの形で歴史的な内容をもつ歓喜と悲哀の感動が流れわたった。そして、そのさまざまな度合いと色あいの激しい悲喜の思いこそ、その人々が気づくと気づかないとにかかわらず、「風知草」という一篇の小説の世界をつらぬいて流露された歓喜と悲哀に通じるものであった。悲しさも、歓ばしさも、そのすべてが人民として共通に生きぬかれた野蛮な歴史の暴威と崩壊。新しく心ごころに感じられはじめた生の甦りの感覚として。
「風知草」については、先ずその題のよみかたが、ふたとおりになっている。「ふうちそう」とよむよみかたと「かぜしりぐさ」と読むよみかたと。作者は「かぜしりぐさ」とよむことは知らなかった。夏の夜店の植木屋の葭簀ばりのそばで青々と細葉をしげらせたその鉢植を買ったとき、植木屋はそれを「ふうちそう」とよんだ。わたしは、ああ、そのほっそりした葉がかすかな風の渡るときにもそよぐからだろうと納得していたのだった。二三年たって、同じ草の鉢がさし入れられて、巣鴨の蒸し釜のような女舎のせまい板じきにおかれた。その三畳の室は風通しというものが全くなかった。暑気に喘ぎながら、わたしはその細い葉の一端でもそよがせる微風――といわないまでも空気の動きを求めた。しかし、その細い青いむら葉はわたしがその室の中で昏倒してしまうまでそよっとも動くことがなかった。さし入れ通知の紙に、ふうち草鉢植一とかかれていてわたしはその下に、赤いにくで爪印をおしたのだった。そういういきさつから、作者のこころもちは「ふうちそう」としてしかあの夜店の草を思い出すことができない。
 風知草の主要な人物は重吉とひろ子という夫婦である。重吉が思想犯として十二
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