一寸のんきさがますと馬鹿に近くなってしまう。
人にはどんな人にでも多少惨こくな心持が有るにちがいない。たとえばここに下らない人の書いた地獄の絵と、名人のかいた山水とならんであるとすると、山水は一寸いいかげん見て置いて地獄の針の山に追い上げられる亡者や、火の池をおよぎそこねるものなんぞを「ずいぶんいやな絵ですネー」と云いながら前よりも長い間そこに立ちどまって見る。
私が何かものずきに雅号をつける。
それが雑誌かなんかで同じ名が見えると、自分の領分に足をふんごまれたような馬鹿にされたような気持になるので、そのたんびにとりかえる。くせの一つかもしれない。
第五日
小供なんかって云うものは妙なもので、頭が単純なせいか、一つはなしを幾度きいてもあきないで笑ったりなんかしてよろこんで居る。
かおがそんなに奇麗でなくっても、声のきれいなのはそれよりもまして可愛い心持のするもので、みにくいかおの女がなめらかな京言葉をつかって居るのは、ずいぶんと似合わしくないもので、きれいなかおの人が椋鳥式のズーズーでやって居られるとなさけない、いきなりポカリと喰わされた様な気がするもんだ
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