てるけども行きたくなんかありゃあしない、ちっとも。こんないい気持でこんなおだやかな心でこのまんま死んじまいたい様だ。
 何を考えるともなく目をつぶってうっとりとして居た。何にもする事もなし、浜町にでも行って焼絵を書いてでも来ようか、と思い立ったんでスケッチブックをつっこんでフラリと飛び出すとおっかさんが何かしきりに云ってなさる。何かしらと思ってあともどりをして見ると、蟇口を忘れたんだった。「のんきな奴だ!」と云ってしまった。しばらく歩いて見たが電車にがたがたゆすぶられるのもと思ってお師匠さんのところへ行ってしまった。
「マア、随分この頃はお見限りでしたネ、貴方のこったからって云ってたんですけれ共」
 いきなりこんな事をあびせかけられた。稽古台はからっぽで縁側に三つ四つ友禅の帯が見えて居る。一番はじっこに居る娘のえり足が大変にきれいだ。お師匠さんにうたわしてひかして自分はだまって遠くから見て居ると、自分が手をもって教えてもらった人の様には思えない。一寸絵になりそうな様子の女だとこないだっから思ってる。
 金のいやにデコデコした指環のある手で器用にひきこなして居るのを見ると、若い時の事がフ
前へ 次へ
全85ページ中67ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング