うすっくらいほそい町を歩きながら、女は懐手をして小石をつまさきでけりながら、今にもうたをうたい出しそうな、男の姿が見えたらすぐとびついて抱えそうなはずんだ気持になって居た。
「夜という仮面をつけたりゃあこそ、さもなくば気恥しゅうて此の頬が紅の様に紅うなろう……」
 自分が始めて云い出す事の様にふくみ声で云って目をあげてうす笑をした。
 男の家の丸アルいくもりがらすの電燈が見え始めた。この頃道ぶしんで歩きにくく、わざとする様にまかれた砂石の道を人の居ないのを幸に足の先の方で走ってくぐりをあけるとすぐうたをうたう様な声をあげて、
「居らっしゃる?」
と声をかけてチューリップの模様の襖のかげから出て来る男の姿を描いた。
「お上り、随分思いがけない時……」
 男の声が思いがけなくほんとうに思いがけなく二階から頭の真上におっこって来た。
 妙にくねった形をした石の上に下駄を並べて階子をかけ上った。
 障子はすっかりあけはなされて、前の時にもって来たバラがまだ咲いて居てうす青な光線が一っぱいにさして散らかった紙の上に男の影がよろけてうつって居た。
「いそがしいの? 今日は来る筈じゃなかったけど例の
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