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京[#「京」に「西」の注記]の女は砂糖づけかあめのようで、東の女達はさんしょの様なすっきりとしたピンとしたところが有る、とは昔からきまった相場であるけれ共、この頃は江戸っ子と椋鳥とごっちゃになって九州のはての人と北海道の人とごっちゃになってしまったので東京にすんで居る人でも、随分ごっちまぜになって居る。毎日乗る電車の内にも見てほんとうの江戸っ子を見ることは一寸ない。往復の電車に一人も見えない時などには随分と心細く、キリリシャンとした角帯がなつかしい気になるが、京橋辺で思いがけない江戸っ子の女になんかあうとめっぽう心太くなってしまう。
私はもう十五にもなって居て……昔なら御手玉もって御嫁に行った年だのに、まだ大人の着物を引きずって着るのと戸棚の中に入って下を見下して居るのとが妙にすきで、鉛筆の先のまあるいのが大きらいでいそがしい時鉛筆がふとくなると涙がこぼれそうになる。イライラするとじきに涙が出そうになるかわりに、ふだんはそんなになき虫じゃあない。
「女は泣かなくちゃならないもので、男は働かなくちゃあならないものだ」と何かに云って有ったけれ共、この頃は女もないて許りいちゃあたまらないようになって来た。「涙もろい……一寸したことになく女と、中々なかないいじっぱりの女とどっちが御すき?」と男の人にきくとやっぱりけんかしてもいじっぱりの人の方がいい、と云う。
思いきり自惚《うぬぼ》れて居て、ひょっとあてのはずれた時の人ほどみじめなものはないと思う。自慢なんかする人は天からのんきでなくっちゃあ出来まいと思われる。なぜってば自慢って云うものは「御自分さまって云う御方は御えらい御方だ、御姿はよし御声ならよし、学問なら、遊芸なら何でもござれで……さてさてマア」と自分で足駄はいて首ったけになって居るのが即ち自惚れである。そんな人がひょっと人から自分のわるい評判をきいたり、笑われたのをきいたりしようものなら、にが虫を百疋かみつぶしながら蜂にさされて泥をぶつけられたようなかおして悲観してしまう。自惚のつよい人ほど悲かんの程度が強い人だろうと私は思う。
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斯う云うものの自ぼれて居られる人はたしかに幸福な人だと思う。何故ならば多少の自信をもって居ても自ぼれなければいつでもイライラする気持になるから。
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ひろい海の前に立って
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