なる、様々に変ってやがて馬鹿にしたようにプッととんでってしまうから。
第四日
人間が無念無想になる時は、一日の中に可成沢山有る。私の一日中に無念無想になる時には、
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朝起きてかおを洗う時……手拭に水をためて顔にあてた切那、
あくびをする時、あついお湯にしずむ時、だるくってそ□□□[#「□□□」に「(三字不明)」の注記]けんになった時、ハッと思った時、
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こんな時になる。
又、一番下らない事をしみじみ考えるときは、
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ひざを抱いて柱によっかかった時、
団扇の模様を見て居る時、
人のものをたべるのをはたで見て居る時、
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障子の棧を算えて居ると妙に気が落つく、又蠅の糸の様な足を二本合せておがんだり、三本合わせておがんだりして居るのを見るといやに面白い中にせわしないイライラな気持になる。
人のかおが可愛いなんかって云うのは、赤坊のかおを標準にして居ると或る人が云ったけれ共、なんだか若し大人が赤坊のかお通りならずいぶんまのぬけたものだろうと思われる。
のんきは――一寸のんきさがますと馬鹿に近くなってしまう。
人にはどんな人にでも多少惨こくな心持が有るにちがいない。たとえばここに下らない人の書いた地獄の絵と、名人のかいた山水とならんであるとすると、山水は一寸いいかげん見て置いて地獄の針の山に追い上げられる亡者や、火の池をおよぎそこねるものなんぞを「ずいぶんいやな絵ですネー」と云いながら前よりも長い間そこに立ちどまって見る。
私が何かものずきに雅号をつける。
それが雑誌かなんかで同じ名が見えると、自分の領分に足をふんごまれたような馬鹿にされたような気持になるので、そのたんびにとりかえる。くせの一つかもしれない。
第五日
小供なんかって云うものは妙なもので、頭が単純なせいか、一つはなしを幾度きいてもあきないで笑ったりなんかしてよろこんで居る。
かおがそんなに奇麗でなくっても、声のきれいなのはそれよりもまして可愛い心持のするもので、みにくいかおの女がなめらかな京言葉をつかって居るのは、ずいぶんと似合わしくないもので、きれいなかおの人が椋鳥式のズーズーでやって居られるとなさけない、いきなりポカリと喰わされた様な気がするもんだ
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