自分も大きな人間になった様な気のする人と、
 いかにも自分の小さいものに思われる人とある。
 始めのように思う人は多少自信のある人のなる心持で、あとの方はまだ自分の心のはっきりわからない、不安心な人がなる心持である。
 私は後者に属して居る。

 人間の作った字と云うものを長く見て居ると、こんなまがりくねった線を集めたんで、どうして意味が有るのかと妙に思われると一緒に作った人間と云うものが不思議に思われる様になってしまう。

 体の妙に細い角々しい曲線の手先もうでも太さの同じな、かおのほね立った動く時に埃及《エジプト》模様の中の人間のようになる人がある。
 埃及模様なセセッション全盛のこの頃、そんな人も全盛かと思うとそうでもないから妙なものだ。

 妙なもんで兵児帯のはばをうんとひろくまきつけて居る人は田舎もんの相場師か金貨の様に見えてしかたがない、とはどう云うわけだか自分にも分らない。
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 同じ形をした同じ枝の葉でも□[#「□」に「(一字不明)」の注記]でも、その一角でも赤か黄にそまって居ると人は目につける。それが死ぬ間ぎわの色でも……人間も木の葉とそんなに変らなく一寸色が変って居ると目立つものだ。
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 田舎に育った娘は、しずかなチラット白眼をつかってかんだぐるようなことが多く、都に育った娘は、人なつこい中にかならず幾分かのかざった、いつわったところが多いと思われる。

 仕事をしなくてはいけない、仕事をしない人間は生き甲斐のない人間だと云うこの言葉だけは知って居るけれ共、何故仕事をしなければならないか? と云う問題になるとはっきり分らないものだ。

 この頃は天才がふえた。ことに雑誌なんかの上で大人が一二度小才のきいた文章が出してあるとすぐ「前途多望の天才」とかなんとか云う尊称がたてまつられる。そんな人にかぎってその投書の一年とつづいた事がなく、その次からの文がきっと前よりも劣って居る。「天才のねうちが下ったナア」と思われる。

 何故昔は男でも色のはでな模様のある着物を一般の人が着て居たのに、この頃は男の着物と云えば黒っぽいもののようにきまってしまったんだろうか? どんな深いわけが有るんだろうかと思われる。

 私は何だかもうずっとたったら男のと女のすれ違う時が来るんじゃないかと思われる。何と云うわけなしにただ…
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