裏に光って居るまっさおな光がせせら笑いをしてちゃかしてしまうのが常だった。心の光が全体同じ色に光って呉れる時は、どこに行っても手を開いて抱き込んで呉れる自然に対した時ばっかりであった。
赤い光が「彼の人を恋人にしてやろうか」とつぶやくと青い光は「フフフフフ」と笑って笑いも消える時には「恋人にしてやろうか」と云う光は消えてしまって居た。
「恋をするんならお七の様な恋をする。それでなけりゃあ歯ぬかりのする御□[#「□」に「(一字不明)」の注記]みたいな恋はしたくない……」彼の女はよくこんな事をその男に云う事があった。
春がすぎて夏になった。囲りにはまるで若武者の様な力づよさとなつかしさがみなぎり始めた。彼の女はもう男の事なんかすっかり忘れぬいた様になって、このまんま死んで行きゃしまいかと思われる様な草の香りや、自分の姿を消してしまいやしまいかと思われる青空の色やに気をうばわれて居た。其の男はぬけ出した彼の女の魂の又もどって来て自分を思い出して呉れるまではどうしてもしかたがない――とあきらめた様に女の様子を上目で見守って居た。男は彼の女があんまり思い切った様子をするのが見て居られなくって旅に出かけた。その時も女は一寸ふり返ったっきり又ふり返って「行ってらっしゃい」とも云わなかった。それでも男は旅に出た。彼の女は「恋人にすてられた人が苦しさを忘れ様と旅に出る様な様子をして居た事」と思ったっきりであった。夏の末、秋の初め――いろいろに美しくなる自然は段々彼の女に早足にせまって来た。女の目はキラキラとかがやいて唇の色はいつでももえる様にまっかになって居た。何でも自然の作ったものを見る彼の女の様子は初恋の女がその恋人を見る様に水々しくうれしそうでさわる時には、苦しいほどのよろこびとに体をふるわせて居た。彼の女はあけても暮れても自然の美くしさに笑い歌い又泣きもして居た。男の事は頭の中になかった。女は沢山歌を書き文を書き只自分が自然と云うものの中に自然に一番したしい芸術と云うものの中に生きて居るのを感じて居るばかりだった。
秋の中頃旅を終えて男が帰って来た。その日も彼の女は青白く光る小石に優しいつぶやきをなげながら男には只「お帰んなさい、面白かったでしょう」と云ったばかりであった。そして原稿紙の一っぱいちらばって居る卓子に頬杖をつきながら小声にふとからからと湧いて来る歌を口ずさ
前へ
次へ
全43ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング