――さあ、どっちでもいいが……」
「じゃあ入って来給え。ゆき子は三十分でも長くいられる方がいいんだろう」
父が笑いながら勧めた。
「そうしましょう……じゃあ一寸失礼」
ゆき子は、いつものように後に蹤《つ》いても行かなければ、「手拭がお分りになって?」と訊きもしなかった。立って行く真木の後姿をちらりと眺めたきり、また、母と、話の続きをしていた。妹の幼稚園を何処にしたら好いかというようなことに就てであったろう。喋っていると、十分も経たないうちに、不意と入口の扉が開いた。そして、真木が笑いながら、顔を出した。誰かと思って、ひょいとそちらを見ると、ゆき子は自分の顔色が変るのが分るような心持がした。何か真木に異常のあったことが直覚されたのだ。
「まあ、どうなすったの? 気分が悪くおなりになったの?」
ゆき子は我知らず立上りながら彼の傍によった。傍で両親達は、怪訝《けげん》な顔で眺めている。
「どうなすったの?」
「大丈夫、大丈夫、どうもしやしない。――ただ、お湯が少し冷たすぎて」
「何? 湯がぬるかった? それは、いかん。風を引かないかな?」
「大丈夫ですとも。――中で散々暴れて来ましたか
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