ところを説明した。
「まだ、いい塩梅にお父さまには云ってあげてないでしょう? だから貴方さえそうしてもいいとお思いになれば、私は遺って見たいわ。……一旦行くと云って、ほんとに悪いけれど」
「そんなことは拘わないが……」思いがけない変更で、稍々《やや》不愉快そうな顔をしていた真木は、ここまで来ると、不意に、苦笑に似た笑を口辺に浮べた。
「それにしてもここに一人でいられるかね」
良人の眼を見、ゆき子は、我知らず笑を移された。
真木の質問には、特殊な諷刺が籠っていたのだ。
彼等の家は、屋根に埋った狭い谷を距てて、小石川台の木立を眺める町なかにあった。周囲には沢山の家があり、木戸一つ開ければ隣家の庭まで手が届いた。けれども、その頃、余り遠くない市外に頻々として、強盗や殺傷事件が続出したため、昼間独りきりになるゆき子は気味を悪がり、やかましく真木に強請《せが》んで、つい先頃水口の錠を換えて貰ったりしたばかりなのである。
「到底一人でなんかいられやしませんわ。――×町へ行ったらどうかと思うの……」
「うむ……」
今度、明に躊躇の色が、真木の額に現れた。それを見ると予期したことながら、ゆき子
前へ
次へ
全61ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング