若葉が、ちらちらと日を漉く草の上に、軽らかな夏著をまとった若い女が、肱をついて長々と臥《ね》ころがっている。傍には、栗鼠《りす》が尾に波うたせながら遊んでいる。静けさ……涼しい風。不意と、人影に驚いて立上る拍子に、きらりと光った金の小金盆《ロケット》や飾帯《サッシ》の揺れを、四辺の透明な初夏の緑色を背景として、目のあたり見るような心持がした。熱した想像の中に自他の境が消えうせる。――彼女は筆を下した。次第に高潮して来る感興を根気よく支えながら、彼女は、一字一字と書き進めて行ったのである。――
 若し、そのまま続いて行ったら、ゆき子は狂喜して、四月五日というその日に感謝を捧げたであろう。けれども、或る処まで行くと、彼女は、突然、我にもない力の喪失を感じ始めた。文字と心とが、次第に鈍い抑揚《めりはり》になって来る。如何に心に鞭を打ち、居住いを正して気を引緊めても、一旦緩んだ亢奮はただもう弛緩するばかりである。ゆき子は、足がかりもない砂山の中途から、ずるずるずるずると不可抗力で谷底までずり落ちるような恐怖に打たれた。捉まろうにも物がない。縋り付く者もいない! 彼女は恐ろしさに堪りかねて、泣き
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