た陰鬱は去り、朗らかな愛と勇気とが、曇のない朝の光線と共に、爽やかに身内に感じられるのである。
健康な熟睡から醒め、体を洗い、彼女の肉体の潔らかさと共に魂の貞潔まで感じるような心持がした。息は深く、四肢に人間らしい力が漲り、自分の精神によってこの世に産れ出ようとする愛すべき無形の何ものかに、全心が本能の慕わしさで牽きよせられる気がするのである。
ゆき子は、早めに朝飯を終り、出勤する父親を見送ると、そのまま自分の部屋に引取った。そして、下見窓から流れ入るほどよい朝かぜにかこまれ机に向うと、彼女は、嬉しさで心がときめきを感ぜずにはいられなかった。
「これでこそ来た甲斐がある!」
ほんとにこの間じゅうのようでは、来ない方がよかったとさえいえる状態であった、あれほど固執して×町へ来た価値が何処にある。が「今日こそは!」ゆき子は、若い雌馬が勇み立って、その鬣《たてがみ》を振るように、肩と頭とを揺りあげた。そして、改めて坐りなおし、気を鎮め今まで書き溜めた頁を読みかえしているうちに、眼の前には、これから描くべき情景《シーン》が、ありありと見え始めた。
そこは、日本ではなかった。鮮やかな楡の
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