らゆる場合の伴侶であった古びた狭い前栽が、また、閑寂な陽春の美に充ち満ちて目の前に還って来た。
土庇に遮られて柔かい日光を受け、朝夕は、しめった土の匂を感じ、嘗て知ったあの落付と集注とは疑いもなく再び彼女の心に甦って来ると思われたのである。
昼間は、どうしても、弟や妹や母が、彼女を独りにさせてはおかない。快活な父親を芯にして、まるで咲きこぼれたような夕餐がすむと、ゆき子は、絡みつくような多くの視線から、強いて自分を引離して、書斎に帰って来た。
そして、すがすがしい夜気の中に燈火をてらし、ひやりと冷たい机の前に坐り、さて、心を鎮めて紙に向う。――が、一夜二夜経つうちに、ゆき子は思いも懸けない新しい事実を発見した。
それは、この六畳さえも、今はもうただ、静寂な一室、というだけの影響しか、自分の心に持っていないということなのである。
先、ゆき子は、陽気な食堂や客間からここに引取って、一旦、静に光を吸う茶色の砂壁に囲まれさえすれば、もうそれだけで完全に、集注した心を取戻せた。暗い曲りくねった廊下と、低い襖に画られた一重こちらは、さながら、いつも見えない感激に満ちた霊魂の仕事場であった
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