瞥見していないうち、なんとかして自身の足場を他にうつし、あるいは片目だけ開いた人間の大群衆を、処置に便宜な荒野の方へ導こうと、意識して社会的判断の混乱をくわだてているのであるから。
 自由という名は耳と心に快くひびくが、食糧事情の現実は、わたしどもの今日に、饑餓と大書してそびえ立っている。開放と不安との間に、橋の架けかたを知らされずに近代を通ってきた正直な日本の幾千万の人々が、ひしめいているのである。
 文学が、こういう未曾有の歴史の場面において、負っている責任はきわめて大きい。そしてまた、文化・文学の活動にたずさわる人々の胸中には、言葉にあらわしきれない未来への翹望がある。それにもかかわらず、なんだか、前進する足場が思うように工合よく堅くない。すべり出しの足がかりがはっきりしない感じがあるのではなかろうか。自身にとっても、十分新らしかるべきものと予想されている日本の今日の文学を、どこから本質的に新しくしてゆけばよいのか、わかっているようでわからないのが、本当のところらしく見うけられる。
 日本の文学が、今日そういう足の萎《な》えた状態にあることは、まったく日本の明治文化の本質の照りか
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