ろの癖があったり自己撞着があったりするのも畢竟は、私たちすべてのものが、ぽつんと天地の間に湧き出たものではなくて、波瀾を極める人間社会の肉体の歴史、精神の歴史の綾の裡から、またその綾に綾を加えるものとして生れ出ているからなのだろうと思う。
 私たちの心の中には、従っていろんな傾向が眠っているわけだけれども、あらゆる時代を通じて若い人たちは、きっと、その親たちよりはよりましでより合理的な生活を送りたいと希望して来たのだという動かしがたい事実を、私たちは改めて見直していいのだろう。人間がまだ穴居生活をしていたころから、その希望は本能的な生活の欲望として、人間の内に働いていたにちがいない。ごく原始的な表現で、例えばより工合よく体にかける毛皮を縫い合わせたいという気持がいつもあって、或るとき或る人間が先の尖った石か貝の片の一方に糸を通す穴をこしらえて針を発明した。コフマンは、女性に名誉を与えて、そうして人類の生活に初めて針をもたらしたのは、多分その頃はぼうぼう頭で日向にかがんで毛皮をつぎ合わせていた人類の女性だったのだろうと想像している。
 コフマンの仮定をうけ入れるとして、人類の遠い遠い祖先
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