れた原野の真上のところに、二流れ黒雲があった。細く長く、相対して二頭の龍が横わっている通りだ。左手の黒龍の腹の下に一点曇りなき月が浮かんでいる。やや小ぶりな右手の龍が、顎をひらき、その月を欲して咬み合う勢を示した。左手の龍は憤り、ドーッ・ドーッ風の吹く毎に体を太く太く膨らかして来る。南方に八溝連山が鮮やかに月明に照されつつ時々稲妻を放つ。その何か奇異な深夜の天象を、花は白く満開のまま、一輪も散らさず、見守っている。――
 この花ばかりではない。第一には若葉のひろがりにしてもそうだ。この山名物のつつじにしてもそうだ。北方の春は短かく一時に夏景色になるわけなのに、この高原では、すべて徐々に、すべて反覆しつつ、追々夏になって来る。東京で桜が散った後は、もう一雨で初夏の香が街頭に満つが、ここでは、こうやって今日一日降りくらす、明日晴れる、翌日は又雨で、次の日晴れる――ああ、何か一種異様の愛着をもって自然が推移するのだ。それ故、一月近くいて見ると、ここを去るのが変にのこり惜しい。いつか四周の自然に暗示されて、何か見るべきものの終りを見ずに去るような感情さえ起させるのだ。こんなことも、××屋主人に
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