りの花園で梨の花が咲いた。もう葉桜だ。その木の間がくれに見える白い梨花、春の嵐が来て空は今にも大雨を降らしそうな鉛色で鈍く暗く、光る。その下にねっとり白く咲く梨の花の調子は、不安なポプラの若葉の戦ぎと伴って、一つの音楽だ。熱情的な五月の音楽だ――何の花だろう。何の花だろう。朝起きるとその木を見る。女中に訊いても樹の名を知らぬ(大体、田舎でも樹木の名など知らない人が多いのは意外だ。却って田舎の人が自然と絶縁して暮している)或る朝、ところが、一番日当りよい下枝の蕾が開いた。その清らかに爽やかな初夏の贈物に向って心が傾きかかった。日ごとに白い花の数は増して、やがて恰好よい樹がすっかり白い単弁の花と覗き出した柔い若葉でつつまれた。幾日かかかって花は満開になったのだ。その満開のまま今度は更に幾日も幾日もある。那須山麓のことだから、その間一日おきに雨が降る。細かい雨、横なぐりなザンザ雨、または霧、この間は家根をも剥しそうな大風が吹いた。硝子が鳴り、破れそうで眠れない程であった。起きて廊下から瞰下《みおろ》すと、その大風に吹き掃かれる深夜の空には月が皎々と照り、星が燦めいている。丁度、月の光りに浸さ
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