自分の膝から払いのけた。
「お幾さん、私はこれでも及ばずながら人の妻としてすべきことだけは尽した積りでございます。たといあなたが、どんな積りでおっしゃっても、私は決して神の怒りに触れるようなことをした覚えは夢にもございません、爪の垢ほどもございません」
 強て落付きを保とうとするお恵さんの声は、自ずとこみ上げて来る歔欷《すすりなき》に怪しく掻き乱された。
「あなたに――あなたまでがそんなことをおっしゃるかと思うと……」
 肩を震わせて二つの袂の中に泣き崩れたお恵さんは、やがて頭を擡げると、良人の遺骸の枕許にぴったりと寄添って、切れそうに唇を噛みしめながら、静かに新しい線香に火を移した。

「ほんとにまあ何ということを云ってのけたものだろう」
 あの恥と憤りとに火のように燃えて自分を見た二の眼を思い出しただけで、お幾は今だに体の竦む思いがした。
 たとい、云い廻しの不十分から起った誤解だとは云いながら、場合が場合だけに、お幾は自分をよしとする如何なる口実も見出せなかった。
 馬鹿な自分、間抜けな自分、彼女は自分の手に喰いつきたいほど、その失言を悔い悩んだ。
 若し自分がお恵さんだったらど
前へ 次へ
全33ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング