色の地味なコートの袂を合わせて胸を押え、お恵さんは、瞬間、どうしていいか、途方に暮れて立澱んだ。四辺には、介抱を頼むような家もなければ、人もいない。
とにかく、凝っとして、落付けなければ、どんなことになるか知れない。先達って中からの経験で、お恵さんはこんな時、安静が何より必要なのを心得ていた。
彼女は、出来るだけ、体のどこにも力を入れないように、足の幅だけ横いざりをして、往来の邪魔にならない道傍に退いた。
何時の間にか、髪の生え際に、ねっとり冷たい汗が滲み出した。げんなりし、節々から力が抜けたようになり、お恵さんは、立ってもいられなくなった。
彼女は、首を垂れ、胸を掻き抱いてそこに蹲《しゃが》んでしまった。
あまり突然な変化で、何事が起ったのか、彼女自身にも解らないほどだった。今までのあらゆる現実は、いきなりふいっと消えてしまい、漠然とした、本能的な、寂しい、疲れた感覚ばかりが、体も心も、一杯に埋めてしまったのである。
お恵さんは、背を向けた往来を、威勢よくガラガラと転って行く、牛乳屋の空車の音も聞かなかった。目の前に、顔を刺しそうに突出ている、尖った枳殼《からたち》の垣根
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