うこともなく、彼女は散歩のように楽な気分で、鎮った屋敷町を進んだのである。
巡査の姿は見えない、とある交番の傍から、道幅の狭い、商売町にかかる頃、四辺の靄はもうすっかり霽《は》れ渡った。屋根の瓦や、眠りから醒めた小さい飾窓《ショーウインドー》に、チラチラと日が照る。店頭に動く小僧の姿、黒い外套に息を白く見せて行違う学生の通学姿等が、そろそろ、急しい午前七時の町筋を思わせる。
起きたばかりの文房具店の横から右に曲り、また静かな裏通りに出ると、お恵さんの足は、何時の間にか速くなって来た。天理教会の支部は、もう一つ先の角を折れた坂上にある。今迄、あまりゆっくり歩き過たという意識と、先がもう遠くはないという考えが、我知らず彼女を急き立てたのである。
お恵さんは、丁度先に行く中学生の足並に、後れまいとするような意気込みで、せっせと足を運んだ。そして、最後の角に在る寺の近くまで来かかると、彼女は、急に何ともいえない胸苦しさを覚え始めた。
何かに驚きでもしたように、胸がドキリとしたかと思うと、俄に鼓動が烈しくなり、うっかり動いたら、忽ち倒れてでもしまいそうに、呼吸が迫って来るのである。
鼠
前へ
次へ
全33ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング