も見なかった。
 ただ、時を切り、厭な寒気と、いくら口をあぷあぷさせても吐き切れない息の苦しさばかりが、体を震わせる。彼女は、薄すり閉じた瞼の下で、顫える寒天のような灰色の空間を見た。下から上へ、下から上へと、無数に真青な焔が立って行く。

 お恵さんが、常願寺の裏から、吊台で運び返されたという急使を受けた時、お幾の愕《おどろ》きは、想像も許さないものがあった。
 結いかけていた髪もまとめず、くるくる巻のまま、体中で震えながら彼女が馳けつけた時、迎えたお恵さんは、もう、
「よくいらしって下さいましたね」
と云って微笑む、今朝までの彼女ではなかった。
 冷たく堅くなった、一人の淋しそうな婦人の遺骸が、落付き悪く、三年前、良人が横わったと同じ場所に臥っているのである。
 唇迄蒼白くなり、お幾は、口も利けなかった。
 部屋には、偶然通り合わせて、人だかりのした行路病者が、お恵さんであるのを見つけたという、矢張り、同じ信心仲間の年寄がいた。妹が死んだとなっては、さすがに棄てても置けまいという風に、常は冷酷な兄の、卑しい大きな顔も見える。
 然し、お幾は、それ等に、適当な弔みを云うことさえも忘れ
前へ 次へ
全33ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング