沈滞が不健康にくろずみ澱んでいる。そこへただ一点、精気を凝して花弁としたような熾《さか》んな牡丹の風情は、石川の心にさえ一種の驚きと感嘆をまき起した。
「――見事に咲きましたな、旦那」
幸雄は、とうに石川の来たのを知ってでもいたかのようにゆっくり云った。
「きれいじゃないかねえ、石川。――いいねえ」
「いつ咲き始めました?」
「――三日ばかり前だよ――ねえ石川、本当にきれえじゃないかねえ」
「立派です」
石川には病人が無心な花の美しさに心を奪われている様がいじらしく感じられた。歩いては眺め、止まっては眺めしていたものと見え、例によってちびた男下駄は、足の指まで雨上りの軟い庭土でよごれきっている。石川は、
「余り立っていらっしゃるとお体に悪うござんすよ」
と注意した。
「縁側にいらしたらいいでしょう、あそこからでもよく見えますぜ」
幸雄は黙って向きかわり先に立って歩き出した。幸雄は手の先については非常に潔癖で、一寸木の枝を弄《いじく》っただけでも石鹸で洗った。足の方になるとそれが信じられないほど平気であった。どんなによごれていても、それなりで真白い敷布の中へでも入る。今も獣のように
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