「旦那、こっちの方がようございます。あれは駄目ですよ、もう」
「そうかい」
 水をやりすぎるので、ダリヤは夏が来ると茎と葉ばかり堂々と丈高く繁った。青い繁みの頂上に、それでも少々赤い花がつく。石川が来るのを待ちかねて、病人は、
「咲いたよ――ごらんよ――よく咲いたねえ」
と、それがまるで貧弱な花でも実に悦ばしそうに賞めるのであった。気持よさが声から溢れた。
 庭に、焼材を埋めて縁にした特別の花壇がある。そこには二株の牡丹が植えられていた。石川もこれには寒肥えその他怠らず手入れするので毎年季節が来ると、二株の牡丹はそれぞれに見事な淡紅の花を咲かせた。
 五月初旬の雨上りの日、石川は久しぶりで病人の様子を見に行った。
「旦那は?」
「御散歩でしょう」
 龍の髯を植えた小径から庭へ入ろうとする石川の行手に、ぱっと牡丹の花とその前に佇んで我を忘れている幸雄の姿が写った。この間来たときはまだ十分堅そうな蕾であった。それが夜の間に豊かな春を呼吸して、一輪は殆ど満開に、もう一輪、心を蕩《とろ》かすような半開の花が露を帯びて匂っている。年来生活の活々した流れや笑を失った家と庭にはどこやらあらそえない
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