壁だの湯殿のタイルだのをほじくって余念なかった。そこにはきっと蠅の糞の跡とか塵とか針の先ほどのものがついてい、人形に見えるのであった。引ずった粋なお召の裾や袂を水でびしゃびしゃにし、寒さでがたがた震えながら縁側じゅうに洗面所の水を溢らして掃除をする気のこともある。偶々《たまたま》奥さんが正気に近くなっているとき来合わせると、石川は一種異様な心持になった。世の中にはこのような廻り合せの親子さえあるものだろうか。三十近い幸雄を奥さんは幸坊幸坊と呼んだ。
「ねえ幸坊や、お前さんどうぞ早く体をよくしてまた学校へ行っておくれ、俥《くるま》でも自動車でも何でもお前の好きなものに乗せてあげるからね、そして、どうか一度母さんの前へ、十円でも十五円でもいいから、これは私が勤めてとりましたというお金を見せておくれ。……ね、幸坊や、たのみですよ」
さめざめと母の涙が窶《やつ》れた頬を濡らすのであった。
「きいてたの? 幸坊――」
幸雄は聞いている。一間隔てた六畳に幸雄の真鍮燦く寝台があった。その上にゆったりと仰臥《ぎょうが》したまま、永久正気に戻ることない幸雄が襖越しに、
「いいよ、心配しないでも行くよ
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