いる。男は石川を見ると、ひょいと頭を下げて傍へどいた。
「あら! 帰らないで下さいよあなた! あなた」
という奥さんの声に石川は、
「やあ」
と入口に立ったが、べったり流し前の簀子《すのこ》に座布団もなしで坐り込んでいる彼女の風体とその辺に引散らかしてある物品を一目見ると、君が泣き出したのも無理なく思えた。石川は上り框に蹲み、
「どうなさいました、え? 奥さん」
と声を励ました。石川の胸に、三年前幸雄が力ずくで病院に連れて行かれたのを見たときと同じ、酸っぱいような鼻の髄が痛いような感情が甦った。奥さんは手元にあるだけの株券、公債、銀行通帳、宝石の入った装身具類などを悉《ことごと》く簀子の処へ持ち出し、
「これだけ財産があるんですから、本当に、御迷惑はかけませんよ、――だからどうぞ今日から親類になって下さい、……ね、私達そりゃあ淋しく暮しているんですよ、二人ッきりでね、幸坊と私と二人ッきりでね」
と心をこめて訴えているのであった。傍で、年嵩の女中が気が気で無さそうにそれ等の物を他人の目からかばおうとしている。石川を見ると、奥さんはのり出し、一層優しく、いかにも侘しい境遇にいかにも堪えきれ
前へ 次へ
全28ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング