色と白の唐草模様のね」
――その積りで家を出たのではなかったが、いかにも歩き心地よさそうに日の照った往来に出ると、おくめの心には、一層「沢屋」という文字が鮮やかになって来た。前を通っている電車にさえ乗れば乗換えもなく万世橋まで行ける。
「今頃は、何をしているのだろう。ひょっくりその角で出逢うまいものでもない。――」
ちらりと、彼女の方を振返りながら行き過ぎる男でもあると、おくめは、覚えず、どきりとした。
彼女は我知らず早足になり、大通りの、景気よく飾った呉服屋に入った。そして、望んでいた切地《きれじ》を買い、同時に、年齢に拘わらず女の心を牽きつける流行《はやり》の衣類などに目を楽しませると、不思議に焦立《いらだ》った気分も、自ら和《やわら》げられるように感じられた。
「何だろう、馬鹿馬鹿しい。まるで若い者みたいに――」おくめは昨夜《ゆうべ》来初めての余裕ある心持で、ひそかに苦笑さえした。が、再びほんのりと暖い往来に出、陽気にベルを鳴らしながら動いて行く電車を見ると、突然、彼女の心は、何ともいえず激しい力で衝き動かされた。
おくめは、際どく「あ! 一寸待って下さい」と叫んで、傍の
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