大きくさせたという鴎外の生涯は、その美しい噂の一重彼方では、一通りでなく封建的な親子の関係でいためつけられて来ていたこともうかがわれる。鴎外はそれと正面から争うことに芸術家としての気稟を評価するたちではなかった。それを外部に示さずに耐えている態度に叡智があるという風に処していたことも分る。ゲーテが現実生活に処して行ったようなやりかたを鴎外は或る意味での屈伏であるとは見ず、その態度にならうことは、いつしか日本の鴎外にとっては非人間的な事情に対してなすべき格闘の放棄となっていたことをも、鴎外自身は自覚しなかったであろう。
杏奴さんが、自身の筆でそこまで歴史的に父の姿を彫り出すことの出来ないのは、寧ろ自然であるとされなければなるまい。
鴎外の子供は、皆文筆的に才能がある。於菟さんも只の医学者ではない。このひとの随筆を折々よみ、纏めて杏奴さんの文章をも読み、私はこれらの若い時代の人々が文章のスタイルに於て、父をうけついでいるのみならず、各自の生活の輪が、何かの意味で大きかった父という者の描きのこした輪廓の内にとどめられていることを痛感した。
漱石は、その作品の中で、生れて来る子供たちに
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