いか。その望みの対象をば、或は何物ともしかと弁識していなかったのではあるまいか」と結んでいる。多くの言葉は費されていないが、私はこの条を読んだ時、一すじの閃光が鴎外という人の複雑な内部の矛盾・構成の諸要素の配列の上に閃いたという感銘を受けた。そして、彼が自分の子供たちに皆マリ、アンヌ、オットウ、ルイなどという西洋の名をつけていたことに思い到り、しかもそれをいずれも難しい漢字にあてはめて読ませている、その微妙な、同時に彼の生涯を恐らく貫ぬいているであろう重要な心持を、明治文学研究者はどう掴んでいるのだろうか、と感想を刺戟された。漱石全集を読み直していた時だったので、明治時代のインテリゲンツィアが持っていた錯雑性という点からもいろいろ考えられた。
小堀杏奴さんの「晩年の父」は、「安井夫人」から受けた鴎外についての私の印象の裏づけをして、いろいろさまざまの興味を与えた。父鴎外によって深く愛された娘としての面から父を描き、家庭における父の周囲に或る程度までふれ、文章は、いかにも鴎外が愛した女の子らしい情趣と観察、率直さを含んでいる。
この趣の深い回想から、母親思いで「即興詩人」の活字を特に
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