ような日本文学の創造される現実の過程は、寧ろ極めて大言壮語的ならざる作家の孜々《しし》たる日々夜々の生活者としての成長に期さなければならないということは、実に深い意味を含んでいると思う。作家が現実にひるまない生き手でなければならないということは、目の前に何がつき出され、どんな非条理があっても平ちゃらだ、という、そういうものでは全くないと思う。最も美しい高貴な憤りを憤れるもの、最も深い劬《いたわ》りと同感とを、時代時代が堪えて発展させて行かなければならない互の弱さや無智や無力に対して抱けるものでなければならないと思う。そういう情感そのものが、世界史的規模をその底に湛えるものであって、日本の生活の端々をも瑞々しくとらえ深め描き出してゆく、そういう作家が育って行かなければなるまいと思える。
 作家としての自分の心のなかにそういう遠い遠い願望がひそんでいて、そういう願いのあった側から評論のようなものもかき、こちら側から小説をかきという風に生きている。これから暫く、小説がなるたけたくさん書きたい。自分の願望と自分の作家的現実との間が、どの位及びがたい開きをもっているか、そのことを容赦なく自分に見きわめるために、どっさり小説をかいて見たいと思う。そして、自分というものを、蕾が内からの勢でほころびるように新しい自分に向ってほころばせて開いてみたいものだと思っている。[#地付き]〔一九四〇年十二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「知性」
   1940(昭和15)年12月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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