。われわれの組織の内で、組織活動と創作活動の統一の問題がおこったのは、組織活動の否定からではなく、逆にその重要性の理解(しかし不十分な理解)から起ったのである。われわれは組織活動はもちろんやらねばならないし組織活動の旺盛化の要因として創作活動も高められなければならない。だが、何ともいそがしいではないか。同盟内の仕事はおのおのの部署にあり班会にあり実にうんと用事がある。サークル活動は更に多くの精力を要求する。体が一つではまわり切れない。朝出て家に帰るのは十二時であるとすれば、いつ創作ができよう。だが作品は書かねばならない。困ったものだというところから問題が生じている。当惑と一種の焦慮とをもって問題はおこっていて、一つこの矛盾を大いに克服しようではないか、そのためにはわれらの置かれている現実をまず分析しよう、討議しよう、さあ……諸君! という、気組みの引立ちが欠けている観がある。
 特に率直にいえば、一九三二年の後半期に問題は一進している。林房雄や須井一などが一応プロレタリア文学の陣営に属すように見えつつ、実質においては非プロレタリア的な作品を量において多量生産し、しかもそれがブルジョア・
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