文である。筆者は、繰返し説得している、組織活動と創作活動との統一はプロレタリア作家の実践によってのみ解決されるものであると。そして、その実践とは「より一層の精力的な組織的活動と創作活動との交互関係において始めて解決されなけらばならず」これは「統一され得ない問題ではなく、統一されざるを得ない問題である」といっている。しかし、筆者はその実践の経験を真に「精力的な」「交互関係」において統一させ、われらの世界観を豊富ならしめ、前衛作家として発展せしめ得るものは、ただ一つそれら「精力的な」「相互関係」を通じてわれらに客観的真理の概括を与えるところの、明確な政治的把握あるのみであることに言及していない。この問題の具体的な、日常的な解決は、とりもなおさず、芸術における政治の優位性に対する正しい階級的理解なしにはあり得ないのである。鈴木清はこれを基本的環とせず、あれやこれやの必要条件の一つとして理解したため、論文は実践的な推進力を失ったのである。
今日、プロレタリア文学運動において、組織およびその組織活動を否定するプロレタリア作家はいないであろう。文学運動が文学運動としてあり得る鍵は組織活動にある
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