作家のオルグ的活動の面はさらに多面であり、作家としての技術を組織的活動に直接活用し得る面も数多くある。それはサークル活動である。「樹のない村」について見ても、このプロレタリア作家は、新しく「やま連」を中心とする部落の闘争組織ができようとするにあたり「明日の夜になると我々の故郷にも赤い旗が立つ」と抽象的表現で結び、「どうだ、この蚊のひどいこと!」と手紙を終っている。蚊よりも同志Tに語るべきことがあったはずだ。オルグ的役割をつとめる作家であるならば、その新しい革命力の影響を大衆化するために当然、「部落新聞」の発行について考え、その具体的な指導が「ひどい蚊」に代って彼の注意を占めたはずではなかったろうか。
以上三つの作品、特に「樹のない村」の検討は、われわれの関心、反省を、自身のプロレタリア作家としての活動の吟味に導いて来る。作家同盟で目下とり上げられている組織活動と創作活動の統一の問題にふれて来るのである。
十月号『プロレタリア文学』に鈴木清がこの問題について「一歩前進か二歩退却か」という論文を書いている。この論文はいうべきことのまわりをまわりつつ、ついにかんじんの環をつかみそこねた論
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