類の生活のより深正な幸福の希望や、正義へ向いての憧憬は時代から時代を貫いているのだ。三稜鏡は、七色を反射する。けれども太陽は、単に赤色に輝くものでなく、又紫に光るものでもない事を私共は知っている。一部分宛なのだ。勿論部分は尊い。然し、友よ、私は、只一部分丈に視野を画《かぎ》って、今は、青い時だ、俺はその青い中でも一番強い青色を持っているのだぞ、と云って誇る心掛にはなりたくないと思う。
青でもよい。赤でもよい。何でもよいのだ。只過ぎて行く瞬間の呼声に、くらまされなければ救われる。本道に即いて行ければ充分の感謝である。私共が努力しなければならない事は、今年やって来年になれば如何うでもいい事ではない筈なのだ。私共の魂に吹き込まれて生れて来たものが其を命じ、その命令の、その意向の絶大であると信ずるものによって動かされたいと思う。
尊敬すべき農夫は、決して土をうなう手練の巧妙と熟達とを、仲間に誇ろうとはしないだろう。土を鋤く事は、よい穀物を立派に育てる為なのだと云う事を知っているのだ。
○
私が去年の夏行っていた、或る湖畔には、非常に沢山黒人がいた。白い皮膚を持った人々が彼等をどんなに待遇するか、どんな心で彼等を見ているか。
解放された奴隷は、又解放された奴隷として彼等の子を遺して行く。多くの人が心の中でいやに思っている。或る時は、如何うにかなれ、と呟くかもしれない。然し、嫌われながら彼等は殖えて行く。後から後からと生れて来る。自分がいやでも、ひとがいやでも、彼等は生きずにはいられないのだ。
水浴をする黒坊
水浴をする黒坊。
八月の日は光り漣は陽気な忍び笑いに肩を揺ぶる――青|天鵞絨《ビロード》の山並に丸く包まれた湖は、彼等の水槽。
チラチラと眩ゆい点描きの風景、魚族のように真黒々な肌一杯に夏を吸いながら、ドブンと飛び込む黒坊――躍る水煙、巨大な黒坊、笑う黒坊、蛙のような黒坊。
卿《おまえ》はどうして其那に水が好きなのか。
如何うして其那に笑うのだろう、卿等《おまえら》は――
小粒な雨が、眠った湖面に玻璃《ビードロ》玉の点ポツポツを描いても、アッハハハハと卿達《おまえたち》は、大きな声で笑うだろう。
暗紅い稲妻が、ブラックマウンテンに燃立っても、水に跳び込む卿等は同じ筏から。
ジャボン……ジャボン……
巨大な黒
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