てしまったのだ。そして、撥も何も捨てたまま何処へか行ってしまった。其処で太鼓は又粟に食って掛った。
「おい、どうだ俺の声を聞いたか、素晴らしいだろう――何故黙っている、何とか云うものだ」
「大きな声ですね貴方の声は。然し私の声とは違います」
「何故羨しいと正直に云わないのだ。負け惜みの強い女々しい奴だな。もう一遍歌ってやるから、今度こそ聞いて置け」
 太鼓は、自分は誰かに叩かれなければ、声の出せないのを忘れて、体中に力瘤を入れて意気込んだが、勿論音の出る筈はない。自分の間抜けに気が付いた太鼓は、暫くぼんやりする程がっかりして恥しがった。けれども、恥しいと云うのが口惜しい太鼓は、すっかりやけに成って、いきなりゴロッと小さい粟粒の上に圧《おっ》かぶさってしまった。
 そして「如何うだ此でもか! ハハハ」
と嬉しそうに笑った。
 太鼓は雨が降っても、風が吹いても粟の上にがん張っていた。がその下では粟が、しずかに地面の水気を吸っている。
 其から半年程経って、又同じ芝生の上に飛んで来た小鳥は、腐った太鼓を貫いて、一本の青々とした粟の芽が、明るい麗らかな日光に輝きながら楽げに戦《そよ》いでいるのを見た。
             ○
 魂がおしゃれを止める事は、一刻も早い方がよい。隈のない心が、間違いなくあらゆるもののしん[#「しん」に傍点]にまで徹して滲み渡れるように、私共は邪念を払って慎しまなければならないのではあるまいか。
 どうぞ毎日が、本心で終始されますように――。誰でも本心は授っている。けれども其本心がいつも光っているのは、容易な事ではない。地上には、一日一刻と流転がある。或る問題、或る思想、而して或る亢奮――。自分の生活を純粋なものにしたい望を持って、或る人は、あらゆる今日の問題から、耳をそむけている。又或る人は、同じ目的で、今の主題の第一音を真先に叩こうとしている。
 どちらの態度も、只其だけであったら寂しいのだと思う。
 人類が生活している間中には、どんなに早く駈け抜けて仕舞おうとしても馳け切れないものがあり、又、どんなに自分では縁を切った積りでも、生命のある限り他人にはなり切れないものが、奥底の底に在るのではあるまいか。
 何と云っても、本当のものは、死なない。今や昔と云う言葉を超えて動いている。私共は其を畏れ敬う心だけは、どうか失い度くないと希う。
 人
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