にも、時々、昨夜の、心を奪われた異様な感じが甦って来た。その度に朝子は一時苦しい気持になった。歓びで胸がわくわくする、そんな切なさではなく、真直ぐに立っている朝子を、どこからか重く、暗く、きつく引っ張る、その牽引《ひっぱり》の苦しさであった。
 三時頃、庶務にいる男が、
「――諸戸さん、亀戸《かめいど》ですか」
と入って来た。
「さあ、知らないね」
「白杉さん、今朝お会いになりましたか」
「文部省へ行くとかってお話でしたよ」
「――文部省へ? 何かあるのかしら……」
 矢崎が、冷淡なような、根掘り葉掘りのような口調で聞き出した。
「どうしたんだね」
「新聞社から来たんですよ」
「××じゃないのかい?」
 団体に出入りする、諸戸の子分のような記者があるのであったが、その男が告げた名はその社ではなかった。
「へえ……」
 矢崎は、不精髯の短かく生えた口をとがらせ、考えていたが、
「呼んだのかい」
と云った。
「売り込みさ、――また、ここの資金をこっそり学校の方へ流用している事実があるとか何とか云って来たらしいんだ」
「誰が会ったんだ」
「鈴本さん――そんなこと絶対にないと思うって熱心にやっ
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