顔を見せた。
「――なかなか足が速いんだな。電車を降りると、後姿がどうもそうらしいから、追い越してやろうと思ったけれど、とうとう駄目だった」
「電車が一つ違っちゃ無理だわ」
朝子は大平と並んで、先刻よりやや悠っくり、坂を登り切った。
「どこです? 今日は――河田町?」
河田町に、兄が家督を継いで、朝子の生家があるのであった。
「いいえ……印刷屋」
「なるほど、二十三日だな、もう。すみましたか?」
「もう少し残ってるの、てきぱきしてくれないから閉口よ。でも、まあすんだも同然」
「一月ずつ繰り越して暮すようなもんだな、あなたなんぞは……」
彼等は、大通りから、右へ一条細道のある角で、どっちからともなく立ち止った。
「どうなさるの」
大平は、その通りをずっと墓地を抜けた処に、年とった雇女と暮しているのであった。
「幸子女史はどうなんです、家ですか」
「家よ、きっと」
「ちょっと敬意を表して行くか」
向いは桃畑で、街燈の光が剪定棚の竹や、下の土を森《しん》と照し出している。同じような生垣の小体《こてい》な門が二つ並んでいる右の方を、朝子は開けた。高く鈴の音がした。磨硝子の格子の中でそ
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