れまでの日本は、女一人をたやすく歩ませては来なかったに相違ない。しかし、この個人個人の奮闘史は、今日の彼女たちにとっては、誇りある経歴となっている。そのことが、とりも直さず、現在のこれらの人々が功成りたる[#「功成りたる」に傍点]地位にある人々であることを語っているのである。
私たち婦人にとって、婦人の棄権のすくなかったということは、慶賀さるべきことであったろう。婦人代議士がどっさり出たことも、婦人有権者の数の大きさから見て、そう不自然なことではないのかもしれない。しかし、この現象について飾りなく私たちの感想を求められたら、今、日本の婦人たちは、果して何と答えるであろうか。生活の現実は、これらの婦人代議士が、初めての政治経験において「女のことは女の手で」解決するには余りに重大な社会情勢であることを直感しはじめているのではないだろうか。
諸新聞には、三土内相その他政党首領たちの言葉として、制限連記制が不適当な方法であったことを強調された。婦人代議士のどっさり出たことも、この不適当な選挙方法の欠陥のあらわれのように語られた。市川房枝女史も、今の日本に三十九名もの婦人代議士の出たことはよろこぶべきよりも、寧ろ一般有権者の政治的水準の低さという点で反省、警戒されなければならないことと注意した。それにつれて、婦人参政の先輩諸国の経験が示された。一九一八年に婦人参政権が認められたイギリスでは、その年一七名立候補して当選者なく、一九二三年に八名、一九二四年に六名、一九三一年には、代議士六一五名中、婦人は一五人という数を示している。アメリカのワイオミング州では、参政権を得てから四十年後の一九三〇年に上院一名、下院六名の婦人を出している。
第一次欧州大戦後のドイツが、ワイマール憲法をきめて、共和国となった当時(一九二〇年)最初の婦人参政権が行使され、一時に三十人の婦人代議士が出た。今年、はじめて選挙権を与えられた第二次大戦後のフランス婦人たちは三十二名の婦人代議士を選出し、なかに十七名の共産党代議士があった。そして、日本は、三十九名の婦人代議士を当選させて中に一名の共産党代議士を出しているのである。
この、歴史的な起伏のあらましのうちに、私たちは、何か感じるものがありはしないだろうか。一部の人々によって批評されているように、連記制のおかげで女が得をした、珍しがられて得をした、
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