なった。惶《あわ》てて遠くから母親が盛に顔を顰《しか》め手や首を振って止めた。玉子を持ったら忘れても一太は駈けてはならぬ。
「おっかちゃん! 十も買ってくれたよ」
 筒抜けに上機嫌な一太の声を、母親はぎょっとしたようなひそひそ声で、
「そうかい、そりゃお手柄だ」
といそいで揉み消した。
「さあもう一っ稼ぎだ」
 また風呂敷包を両手に下げた引かけ帯の見窄《みすぼら》しい母親と並んで、一太は一層商売を心得た風に歩き出す。彼は活溌に左右に眼を配って、若い細君でも出て来そうな家を物色した。一太も母同様、玉子を沢山売りたいと思った。玉子は納豆よりずっと儲《もうけ》があったから、よく売れると帰りに一太は橋詰の支那ソバを奢って貰えた。玉子をどっさり売って出て来るとき何だかいい気持を一太に与えた。一寸背が高くなったような心持だ。
 歩くのは天気の好い日に限っていたから、道々一太は種々のものを見た。閑静な午後の屋敷町に大きな石の門があった。犬箱が日向にあって、八ツ手の下に、立ったら一太より勿論大きい斑《まだら》の洋犬が四つ肢を伸して眠っていた。一太は、立派な大人の男みたいな洋犬を綺麗だと思い、こわいと思
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