一隅
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)鸚鵡《おおむ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九二七年十二月〕
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洋傘だけを置いて荷物を見にプラットフォームへ出ていた間に、児供づれの女が前の座席へ来た。反対の側へ移って、包みを網棚にのせ、空気枕を膨らましていると、
「ああ、ああ、いそいじゃった!」
袋と洋傘を一ツの手に掴んだ肥った婆さんが遽しく乗り込んで来た。
「早くかけとしまいよ、ばあや、そら、そこがあいてるわよ、かけちゃいさえすればいいから……よ」
プラットフォームに立って送りに来た二十七[#「七」に「ママ」の注記]の町方の女が頻りに世話を焼いた。
「ああここにしようね――御免なさい」
前の座席には小官吏らしい男が一人いるだけであったが、三等の狭い一ツの席に肥った私、更に肥った婆さんが押し並ぶのには苦笑した。十一時四十分上野発仙台行の列車で大して混んでいず、もっと後ろに沢山ゆとりはあるのだ。婆さんの連れは然し、
「戸に近い方がいいものね、ばあや、洋傘置いちゃうといいわ、いそいでお座りよ。上へのっかっちゃってさ」
窓から覗き込んで指図する。婆さんは、けれども矢張り洋傘を掴んだまま、汚れた手拭で顔を拭いた。
「降りゃしないかね、これで彼方へつくのはどうしたって日暮れだ」
「大丈夫だよ、俥でおいでね、くたぶれちゃうよ。一里半もあるんだってからさ」
「お前傘は?」
「いいよ、平気」
「どうせ家へかえるんだもんね」
「あああ家へかえるんだもの」
婆さんは、偶然の隣人である私の風体を暫く観察していたが、いきなり云った。
「源坊、あぶないよ」
女は、遠い改札口の方をぼんやり眺めたなり鸚鵡《おおむ》返しに、
「あぶないよ本当に」
と、傍に立って車窓を見上げている六ツばかりの男の児の手を引っぱった。白っぽい半洋袴服をつけ、役者の子のような鳥打帽をかぶったその男の児は、よろけながら笑った。
「大丈夫だよ」
婆さんは荒っぽい愛惜を現した顔で子供を眺めながら云った。
「乗りたいの、やっと辛棒してるんだよ。ね? そうだろう?」
「そうさ、今が今まで一緒に行く気でいたんだもの」
「又この次のとき行くさ。どうせ一晩泊りだもん――あっちじゃ伯母さんが来るだろうかねえ」
「さあ」
「来りゃいい
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