のにね、そうすりゃこの間のことだってあのまんま何てことなくなっちゃっていいんだがね」
「来るだろう」
 空気枕に頭を押しつけこれ等の会話をききつつ、私は可笑しい、奇妙な心持がした。ばあや、ばあやと呼ばれる婆さんも――恐らく送りに来ている女の母親なのだろうが、その若い女の方も、殆ど絶えず喋る癖に、互にまるで上の空のようであった。反射的にひょいひょいいろいろ云う。ちっとも語調に真情がない、――
 軈《やが》て発車した。
 私は眠い。一昨日那須温泉から帰って来、昨日一日買いものその他に歩き廻って又戻って行こうとしているのだから。それに窓外の風景もまだ平凡だ。僅かとろりとした時、隣りの婆さんが、後の男に呼びかけた。
「あのう――白岡《しらおか》はまだよっぽど先でござんしょうか」
「まだ四ツ五ツ先ですよ」
「大宮からよっぽど先でござんしょうか」
「大宮から蓮田、白岡です」
「そうでございますか」
 そして、女性的本能の残留らしい媚をふくんだ調子で婆さんはつづけた。
「始めてだもんですから。どうも一向勝手が判りませんでねえ――あのう、すみませんが白岡へ参りましたら一寸教えて下さいませんか」
「私は手前で降りるんですが」
「へえ……」
 婆さんは露骨に骨折損をしたという表情をその声に現して、此方へ向きなおった。小さい引つめ束髪に結った彼女の髷は、もう幾日櫛をとおさないか。謂わばまあ埃と毛髪のこね物なのだが、そこへ、二本妻楊子がさしてある。
 蕨を出て程なく婆さんは、私に訊いた。
「大宮はまだでしょうか」
「この次浦和でしょう? 次が与野、大宮です。――大きい停車場だからすぐわかりますよ」
「どうも有難うございます。何にしろ始めて此方へ来るもんですから勝手が分らなくって――白岡って処へ参るんですが……」
 浦和を出たばかりに、婆さんは、
「もう大宮でござんしょうか」
と、私に質問を繰返した。下町の生活に馴れて汽車に乗るだけさえ一事件であるのだろうと同情していた私は、少し癇癪を起した。
 婆さんは、それを働かして少しは自分で自分の行く先に注意を払うだけの脳味噌も持ち合わせていないのであろうか。彼女の質問のしぶりには、彼女が混んだ電車に乗り合わせた時、ほんの三寸の隙間をも見つけて、そこへ小さからぬ尻から割り込んで掛けずに置かない性質が微妙に閃いているのであった。ばあやさんよ。私は、そし
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング