○男の尺八、それをききに来たもう一人のやはり気弱な男。

     Yamada Kuniko の生活

 信州人。ムラサキ時代、
 中央新聞記者。
 いろいろな男
 生田と同居時代
 同じ社の政治部の少し上の男と結婚、
 その男代議士となる
 女に対する淡白さ、彼女は良人を父とし、多勢若い男にとりかこまれ、良人子供をつれて客間を出、遊ばせにゆく。そういうもの分りのよさ。しかし我とわが身をせめる寂しさ。(此頃よくある一種の細君)

     生田花世氏の言葉

「余り不幸だと一種の公明正大さが出来ますな、自分の利益にはならないでもね」

     野上さんの或面

「情の人には嫌われても、知の人には尊敬される人ですね。面白い存在だと思います」――伊藤綾子の言葉。

     伊藤綾子

 二十五歳――今年六歳
 独身、男性、恋愛の欠乏から生じる不安、生活のよりどころなさ。
 菊池寛
「いくつです」
「二十五です」
「へえー、いつの間にそんなに年をとりました――神代種亮が妻君をなくし、子供は三人あるが――どうです、その人と結婚する気になりませんか」
「余りだ」と思う
 芥川
「女は結婚して損はないんだがなあ」
 生田 自分
「めぐり合わせで来るときは来る。間違ったことをするより待った方がよい」
 綾子 それは分って居る。が、寂しい。弟が幼いのに、待[#「待」に「ママ」の注記]るのがまち遠しく、いきなり「―ちゃん」と云って泣いちまうことがある。子供の当惑。社会状態。==生活難、結婚難、等等。
 淋しさの鋭い刀できられる心。

     中年での疲労

 若くて田舎から出、金になる原稿、名をなす為の原稿と三日四日徹夜しても平気で仕事をした女、二十七八になり、やっとこれからが楽しみというときにつかれが出、頭や手がしびれ仕事どころでない。「それは辛いわ、とても悲しいわね」「だから、余り無理をする人を見ると、私おやめなさいって云うの」

     小田切益之助の娘

 二十三、聖心女学院出、
 頭のよい、派手ずき。
 お茶のテーブルに花をまき、クリームを銀器で出すという風。
 長尾半兵衛の息、ケイオーに七八年居、いつ卒業するかあてのない男と婚約。――自分が引まわせる気のよい男という条件で。長尾の地所が二十万円でうれたら結婚する。それまで娘早稲田に聴講生として通う。

  
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