入ってもモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に於て、病人は決して聖ルカに於てのように日常生活のデテールまでを人まかせにしてしまった安らかな快感は味えない。ニャーニカ達は、私が毎朝茶に牛乳を入れてのむという習慣を決して記憶しない。彼女等の頭は恒に新しい。
――そこの卓子に牛乳の瓶があるでしょう。コップへ半分ばかり温めて頂戴 私はお茶を牛乳とのむんだから――
 お茶は戸棚に入ってる
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]では まだ、身動きの出来ぬ病人はよごれて寝て居ても当人やニャーニカの恥辱にはならぬ、寛容があるらしい。午前七時に当直のニャーニカが入って来て手拭の端をぴしょぴしょ濡してくれる。私は五歳の女の子のようにそれで果敢《はか》なく顔を拭いて、手を拭いて、オーデコロンをつけて、日々新たにその卓子の上にある牛乳瓶についての説明をくりかえさなければならないのだ。
 病院へ入ってもСССРに於ては自分の意志と茶罐とを失ってはならぬ。病院では朝晩熱湯をくれる。
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〔欄外に〕
 ロシア人と茶。午後三時茶がわく。シュウイツァールの男がクルシュクールもってそっ
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