流産の失敗する例は沢山ありますか
――パーセントは少いがあることはあります。一度の人工流産は大したことはない。三度 四度、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の女がやるようにしては全然害があります。
――貴方の知っていらっしゃる場合で一番多くしたというのは何度です?
――××病院でこんな例があった。六度人工流産をした女が、七度目の子供を自然に産みたいと思った。ところがもう六度の手術で子宮の組織がすっかり破壊されてしまって居たので、胎児の発育を持ちこたえられず子宮破裂で その女は死んでしまった。
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 人工流産を小さい番号札と最大限二十五―三十留までの金と三日の臥床とにだけ圧搾して考えるСССР的無智を啓蒙するために映画「第三メシチャンスカヤ街の恋」はどの程度に役立ったであろうか。第三メシチャンスカヤ街は労働者町だ。
 良人とその友人の子をもった女主人公は、掌に握って居た人工流産番号札をすてて 母になるために去った。
 そういう瞬間にもセマシコフの名に於ける病院の人工流産科の第七十五台目の寝台に新しい患者が横りつつあるであろう。
 そして 彼女の三日と三月との間にリスクを犯すであろう。

 日本女の胆嚢は計らず一つの問題を、СССРの社会衛生に向ってなげ与えた。仮令先について居るたまが金むくであろうとも、二米のゴム管を十二指腸へ送り込む芸当は優美にして 快適な至芸ではない。自分は一生の間に屡々《しばしば》此は繰りかえしたくないことだと思った。そこで、眉毛が目の三倍位長い医者に質問した。
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――私は自分の胆嚢が如何那原因ではれたのだか興味がある。ゾンドが美味いものでないのが分ったから、注意して、又嚥まずにすむようにしたいと思いますが
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 彼の答えは斯うであった。
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貴方は モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でずっとストロー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ヤで食事をして居たと云いましたね。それが原因と見られる。ストロー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ヤは大体よくない。不潔だし材料を注意しない、時には腐敗したものも使うからこれからもうストロー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ヤで食事することは禁物です、
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 是は寧ろ日本字で書くより ロシア字になおして、衛生大臣セマシコフに見せたい答だ。
 公平に云えば 我が呪われた胆嚢は2/10だけ既に日本トキョーに居たうちにわるかった。然し胆汁のはけ口を逆行してそのもち主を呻らせる炎症をおこすバイキンは、СССРモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]市の食堂が一ヵ年間補てん提供したのは事実だ。
 日本女の胆嚢に入ったバイキンは、あらゆる瞬間に、ルバシカに包まれたモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の市民《グラジュダニン》の胃にも侵入しつつある。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]全住民の幾割が衛生的な家庭の食事にありついて居るであろうか。
「女性が台所にとじこもって居る間、社会革命は完成されないであろう」
 СССРは過度姙娠、育児の負担から女性を解放すると同時に、戸毎の大小の厨炉の前から女を解こうとした。集会に於て勧告するであろう
「我等新社会*の一市民は、各自の精力を最も有益に利用することを学ばなければならない。二杯のスープと二皿のカツレツの為に主婦が半日石油コンロの前に立って居なければならないという必要がどこにあろうか」
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]夕刊新聞所載 ストロー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ヤの閉店時間 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のストロー※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ヤが僅にセントルで十二時まであるだけであとは八九時にしめてしまうため夜勤の労働者が熱い обед をたべられない
 モスソヴェートは附近の労働状態を考慮して閉店時間の延長を許可するであろう。
 対外文化協会発行のパンフレットは 新しい共同厨房の蒸気釜の写真をのせる。
「食う準備」は人類が獣の皮を腰に巻きつけて棍棒と石でマンモスと戦った時代からの問題であった。
 スパルタ以来最も台所から解放された市民はモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]と New York に発見されるであろう。最後にして最大の問題はこの社会的釜から体内に送られる不用なるバイキンを如何にして撲滅するかという点だ。
             ○
 薄緑色の壁。紅いシクラメンの鉢の載って居る円卓子がある。窓枠が古いので一月の日光とともに室内を空気が流れた。シクラメンの花がゆれるのでそれがわかる。鉢の側――右
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