行ったら居なかった話をする。
レーニングラードの家へかえって居た由。
Kの病気は肺嚢がわるそうな様子だったがバセドーウ氏らしい。勤先の国立出版所から一ヵ月半休暇をもらってクリミヤの休養所へ行って居る。
――どんなだって?
――初めのうち大変よかったけれども、あとはそうでもないように書いてよこしました。でももう直きかえって来るでしょう。
――どうして? よくならなくても?
――休暇が一ヵ月半しかないんですもの、かえって又工合がわるいようなら、再び休暇をとって行くことになるでしょう、
――療養所の医者の証明でもっと居るわけには行かないんですか?
――いいえ。それは出来ません
mは疑をはさまず首を振って いいえそれは出来ませんと云ったが、自分は此点は不合理だと思う。
СССРの勤人が休暇をもらって休養所へやって貰える制度は非常によい。
然し欠点がある。
クリミヤ モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]間は少くとも五日ぶっ通しの汽車旅行を必要とする。汽車には食堂がついて居ない。チェホフが薬罐を下げて走ったように Kも駆けて食物を調えなければならぬ。
一ヵ月半折角休養所に居た。なおり切らないところを、そういう旅行で疲れ、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で再び許可を得るために医者歩きをし、愈々《いよいよ》まだ駄目だときまって、クリミヤへ戻る頃は一ヵ月半の休養は元もこもなくなって居るであろう。
療養所の医者と勤務先との間に連絡ないことは、恐るべき金、時間、精力の浪費を来して居る。消耗をいとわぬロシア人のうねりの大きな純然たるロシア的不便さだ。
○日
ファイエルマンがこういう話をした。レーニングラード附近の或田舎での出来事だ。
誰かが七歳と四歳になる二人の女の児を雪の深い森へ連れ込み零下十何度という厳寒《モローズ》の中へ裸にして捨てて行った。
女の児は凍え始め劇しく泣き出した。
もう日暮で――冬は午後四時にとっぷり暗くなる――折から一台の空橇が雪道を村へ向ってやって来た。
森の中から子供の泣き声がする。百姓は恐怖した。チミの仕業だと思ったのだ。彼は手綱をとって馬の腹をうった。森の中から児供の泣き声は次第に近づき小さい裸の人間の形をしたものが雪路の上へ飛び出して来た。そして泣き叫びつつ橇を追っかけ始めた。百姓は夢中で橇を速める。小さい裸の人間の形をしたものも益々泣き叫んで追っかけて来る。――馬の尻をたたきつづけて百姓はやっと村へ着き、恐ろしかった自分の経験を人々に話した。
怪しんで村から人が出た。
百姓の逃げ去った雪路の上には、その橇の止金にかかって片腕をもがれた七歳の女の児の死骸が発見された。四つの女児は森の中で凍死んで居た。
二十四日
細いゴムの管がある。管は二米ばかりの長さだ。先に小さい楕円形 紅茶こしのような金のたまがついて居る。それをたまの方から嚥《の》み下さなければならない。十二指腸から胆汁をとる療法だがこのゾンドなるものをかけられる時は一種悲しき芸当の感じだ。フセワロード・イワノフが曲芸師であった時嚥んだ剣より工合がわるい。イワノフの剣はバネで三分の一ずつ縮んだ。このゴム管は本当に腸まで嚥み下さなければならぬ。眼尻に流れた涙を手の甲でふいて、右脇を下に臥て、コップの中に胆汁の滴るのを待つ。
医者は去年大学を出た青年だ。彼のところには一匹のセッター種の犬と妻とがある。フランス藍色の彼の服は襟がすり切れた。アフガニスタンからアマヌラハンが逃げる前 月六百留で医師を招|聘《ヘイ》して来た。残念なことに彼にはその時まだディプロマがなかった。――
独逸《ドイツ》の女子共産党員――がСССР女性生活について書いたものが 文芸戦線にのって居た。*月号第○頁
疑問なき簡明な文章だが実際上にはもう少し説明のいる事実だ。純粋に現在及未来の衛生問題として。
ターニャ・イワノヴナはレーニングラードのマリンスキー劇場の第一舞踊手と結婚した。美男の良人につかまって数番の初等トウダンスと両脚を床の上で一直線に展くことをおそわった時 ターニャ・イワノヴナは自分の姙娠したことを知った。踊りての良人は不機嫌に
「僕あ赤坊なんぞいらないよ」
と云った。ターニャ・イワノヴナは 人工流産の手術を受けた。二十五留払って、三日病院の人工流産部に横わって居る筈であった。三日は三月になった。四ヵ月目に、二十二歳のターニャ・イワノヴナが髪の毛と食慾と永久に健康な子宮を失って家に帰った時、彼女は更に一つのものを自分が失ったのを知った。彼女の良人はもうタマーラ・イワノヴナの良人ではなかった。マリンスキーの舞踊手でどこか他の強靭な子宮の配偶者であった。――
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――こんな例、人工
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