と歩いて行く。エイチャイピーラの唄=事務所の茶=クベルパルトコンフェレンスのトリビューンにもさじのついた茶のコップの写真が出た。
[#ここで字下げ終わり]
健康な村のニキートや技師マイコフがする通り、患者達も朝は自分の茶を急須につまんで、病院からくれる湯をついで、それがすきなら受皿にあけてゆっくりのむ。
正午十二時に食事が配られ、四時すぎ夕食が配られ、夜は又茶だ。
夕方の六時、シェードのないスタンドの光を直かにてりかえす天井を眺めつつ口をあいて私はYにスープをやしなって貰って居る。
わきの寝台に腰をかけ、前へ引きよせた椅子の上に新聞をひろげ、バター、キューリ、ゆで卵子二つ、茶でファイエルマンが夕飯をたべる。彼女は昼の残りの肉を ナイフでたたき乍ら
――この肉上げましょうか、食べたくなる程美味しい肉ですよ 全くさ
それでも三週間キャベジの煮たのだけたべてやっと百グラムの牛肉が食べられるようになったのだから、彼女はその肉も結局は食べ終る。
歩き乍ら 青いすっぱい林檎を皮ごとたべる。糸抜細工《ドロンワーク》を始めた。
Yが
――このスタンドはいいがどうしてかさがないんでしょうね、病院らしくもない
と云った。
――それがソヴェート式
廊下では 左右の長椅子を中心としてそろそろ歩ける女の患者たちが集る。揃ってお仕着せの薄灰色のガウンをかき合わせ、それだけは病《わずら》わぬ舌によって空気を震わす盛な声が廊下に充満する。
Yは
「ここの廊下、一寸養老院の感じだよ」と囁いた。
Y、牛乳の空びんやキセリの鍋を白いサルフェートチカにつつんで八時頃かえる。
ファイエルマンは新聞を巻いて上手にスタンドの明りを覆うた。自分はそれを見、ロシア人の持つ生活上の伸縮性を強く感じた。現在二十歳以上のロシア人はすべて革命、飢饉時代を経て生きて来た。生活に必要な条件というものがある。それの全然欠けた日々を潜って如何にして生きるかを習得して来たわけだ。
この民衆の強みはСССРの底石だ。
骨格逞しい丈夫な民衆の上にあらゆる不如意、不潔、消耗がある。然し彼等はその底をくぐって生きぬくであろう。
民衆のこの生活力の上に立つ限りСССРはアメリカの僧侶が希望する以上に強靭な存在であるのだ。
ファイエルマンは明りを暗くすると、寝台の横のトリムボチカをあけ乍ら 私に云った。
――私のす
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