周りのことはしてくれる点にある。看護婦はチラホラしか居ない。ニャーニカとフェルシンニッツアの間に昔はセネラーが居た。私の枕元の卓子の上に真鍮の鈴がある。ガクガクになった首をガーゼで巻いてある。今は金がない。※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンドが一本で五人の患者にまわす。
私の呪われたる胆嚢にのって居る湯たんぷが冷えたとする。私はそのベルをとってならす。白い上っぱりに白いプラトークをかぶったニャーニカが来る。私はそれに毛布の下から引ずり出した湯たんぷを渡せばよいのだ。
ニャーニカの労働は十二時間――午前八時―午後八時、これが二人ずつ四組あって、当直もするのだ。月給四十留(ホテルのゴルニーチナヤは四十二留五十|哥《カペイカ》だ)
50[#「50」は縦中横]人に対して一人のフェルシンニッツア、体温計、その中に一本いつも三度低いのをもってかけ廻る。
ニャーニカは大体親切だ。けれども、彼女達の話すアクセントを一度きいたら 彼女達の踵《カカト》にはどんなに田舎の泥がしみ込んで居るか。敏|捷《ショー》とか 医学的教養とかからはどんなに遠い婆さん達であるかを感じるだろう。
故に、病院へ入ってもモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に於て、病人は決して聖ルカに於てのように日常生活のデテールまでを人まかせにしてしまった安らかな快感は味えない。ニャーニカ達は、私が毎朝茶に牛乳を入れてのむという習慣を決して記憶しない。彼女等の頭は恒に新しい。
――そこの卓子に牛乳の瓶があるでしょう。コップへ半分ばかり温めて頂戴 私はお茶を牛乳とのむんだから――
お茶は戸棚に入ってる
モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]では まだ、身動きの出来ぬ病人はよごれて寝て居ても当人やニャーニカの恥辱にはならぬ、寛容があるらしい。午前七時に当直のニャーニカが入って来て手拭の端をぴしょぴしょ濡してくれる。私は五歳の女の子のようにそれで果敢《はか》なく顔を拭いて、手を拭いて、オーデコロンをつけて、日々新たにその卓子の上にある牛乳瓶についての説明をくりかえさなければならないのだ。
病院へ入ってもСССРに於ては自分の意志と茶罐とを失ってはならぬ。病院では朝晩熱湯をくれる。
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〔欄外に〕
ロシア人と茶。午後三時茶がわく。シュウイツァールの男がクルシュクールもってそっ
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